「近代将棋」詰将棋コーナー目録(1954年)①

本日の更新は、近代将棋誌の詰将棋コーナーで1954年に発表された作品の目録、1回目です。

この年、「王将」、いわゆる「新王将」が創刊されました。
借り猫かも」にて、詳細な紹介が行われています。
近代将棋と王将の目録を、合わせて紹介したいと思います。
「創刊号」と表記しているのが王将、「1954年1月号」と表記しているのが近代将棋です。
創刊号
表紙詰将棋 金田秀信
初級科 担当金田秀信
初の1 入選2回 東京都 金子益子
初の2 入選11回 東京都 藤井国夫
初の3 入選26回 静岡県 村木徳
初の4 入選3回 和歌山県 平松繁治
中級科 担当駒形駒之介
中の1 入選22回 群馬県 湯村光造
中の2 入選15回 兵庫県 谷向奇道
中の3 初入選 東京都 伊藤明治
中の4 入選9回 群馬県 杉田宇通
上級科 担当椿春男
上の1 入選3回 東京都 柴田利幸
上の2 入選4回 愛知県 植田尚宏
上の3 入選19回 群馬県 桑原辰雄
上の4 入選2回 青森県 長谷川佳邦
別科 担当清水孝晏
別の1 大道棋
別の2 入選13回 東京都 北原義治
別の3 入選5回 千葉県 大井美好
別の4 入選30回 北海道 山田修司

1954年1月号(通巻第46号)
詰将棋鑑賞室
1 初入選 新潟県 小越正春 十三級
2 初入選 神奈川県 村上公一 十三級
3 入選2回 新潟県 山岸欣助 十一級
4 入選3回 青森県 長谷川佳邦 九級
5 入選14回 東京都 北原義治 四級
6 初入選 神奈川県 三木正道 四級 短篇賞

二月号
表紙詰将棋 駒形駒之介
初級科
初の5 初入選 秋田県 詰棋迷人
初の6 初入選 東京都 爪手美奈斉
初の7 初入選 兵庫県 小西逸生
初の8 入選27回 静岡県 村木徳
中級科
中の5 入選5回 愛知県 植田尚宏
中の6 入選19回 兵庫県 小西稔
中の7 入選7回 北海道 黒坂凡棋
中の8 入選20回 群馬県 桑原辰雄
上級科
上の5 初入選 山梨県 三枝文男(ママ)
上の6 入選3回 新潟県 山岸欣助
上の7 入選15回 東京都 北原義治
上の8 入選6回 北海道 浜田貢
別科
別の5 入選6回 千葉県 大井美好
別の6 入選31回 北海道 山田修司
別の7 大道棋
別の8 入選50回 北海道 柏川悦夫

1954年2月号(通巻第47号)
詰将棋鑑賞室
7 入選3回 北海道 棋村迷人 十三級
8 入選3回 東京都 菅谷春雄 十一級
9 入選59回 東京都 金田秀信 十級
10 入選51回 北海道 柏川悦夫 八級
11 初入選 愛知県 肥田益雄 五級
12 入選16回 東京都 北原義治 二級

三月号
表紙詰将棋 椿春男
初級科
初の9 入選2回 東京都 爪手美奈斉
初の10 初入選 徳島県 井関欽司
初の11 入選27回 静岡県 村木徳 ※入選28回
初の12 入選4回 青森県 長谷川佳邦
中級科
中の9 入選12回 東京都 藤井国夫
中の10 入選2回 長崎県 富田忠男
中の11 入選7回 北海道 浜田貢 ※同一作あり?→類似作と思われる
中の12 入選3回 京都府 田中一男
上級科
上の9 入選52回 北海道 柏川悦夫
上の10 入選2回 岩手県 荻野修次 ※(無仕掛)と表記
上の11 初入選 東京都 鈍棋子
上の12 入選5回 青森県 成田忠雄
別科
別の9 入選14回 福島県 渡部正裕
別の10 入選3回 島根県 岡田富行「渦潮」 ※出題時には題名なし
別の11 入選10回 埼玉県 脇田博史
別の12 入選13回 福岡県 奥薗幸雄 ※(煙詰)と表記

1954年3月号(通巻第48号)
詰将棋鑑賞室
13 入選3回 岩手県 荻野修次 十四級
14 入選5回 青森県 長谷川佳邦 十二級
15 入選14回 福岡県 奥薗幸雄 十一級
16 入選6回 愛知県 植田尚宏 十級
17 入選10回 群馬県 杉田宇通 四級
18 入選20回 兵庫県 小西稔 二級
王将懸賞詰将棋 (入選60回) 金田秀信



王将誌の表紙詰将棋は、非入選扱いと思われます。


昨年12月30日の記事で、「『近代将棋図式精選』に掲載されていない好作を取り上げたい」と書いてしまいましたので、悩んだ末、独断と偏見で1作選ばせて頂きました。

新王将1954年1月号湯村氏作

湯村光造氏作(新王将 昭和29年1月号)
2五桂 1四玉 2四金 同玉 1三角 1四玉 2三銀 同香 2四角成 同玉
1三角成まで11手詰



初手で橋頭堡を築き、次いで2四金と捨てるのが味良い一手。さらに銀、打った角を捨てて詰め上がります。


いずれ、1953年以前の記事でも紹介していくつもりではあります。


次回の更新は、第9回たま研参加記を予定しています。
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No title

新王将創刊号表紙作は金田秀信だと思いますが。

新王将ニ月号中の6、T-Baseでは小西逸生となっていますが、こちらはT-Baseの誤りでしょうね。

EOGさん

表紙、確認するまでもなくミスでした。訂正済です、失礼いたしました。
中級科6、確認しましたが出題・解答発表共に小西稔名義でした。
その後に訂正があれば、すみませんと申し上げる他ありませんが…。

ペンネーム

この記事に登場する棋名に関する疑問などをまとめて。
川崎弘「ペンネーム分類学」(『北斗』所収、初出はパラ1977.7の由)を活用します。一部敬称略――

(1)爪手美奈斉
 王将二月号 初入選、王将三月号 入選2回
の「東京都 爪手美奈斉」を、川崎論考では、本名は既知としています。
T-Baseではこの作者名は3回登場し、初出は
  11手・詰棋界1953.11
ですが、「借り猫かも」はまだ通巻15号(1953.7.25)なので、これにてお手上げ。さて誰でしょう?

更に、2014/10/22と2015/01/27の記事に登場した「東京都 爪木宗佐久」―
  17手・近将1951.12詰将棋コンクール
  19手・近将1952.05鑑賞室
  (T-Base登場はこの2回のみ)
―との関係も気になります。

(2)小越正春/洋之助
(次回の記事にまたがる内容ですが、ここにまとめて。)
 ①近将一月号「初入選 新潟県 小越正春」
 ②王将四月号「初入選 東京都 小越洋之助」
T-Baseで小越姓を検索すると、ヒットするのはこの2人だけ。
 ①は正春氏の唯一の登場で、
 ②は洋之助氏の初出記事で、(パラ1956.11まで)計24作収録されています。
住所は異なりますが、珍しい姓なので、この2人は同一人物あるいは縁者かも、と考えています。
(続く)

(#2:ドン・キホーテ)

(3)鈍棋宝手?
王将三月号の「初入選 東京都 鈍棋子」について、川崎論考の気になる記述―
鈍棋呆手を愛用した倉本氏、オセッカイな誰かに、鈍棋宝手の名が前に使われていた、との"類作指摘"でガックリきてか、使用中止。
―ところが、T-Baseで「鈍棋」で始まる作者名は、この記事の他に次の4件のみ―
  鈍棋子 3手・詰パラ1955.07入門科
  鈍棋呆手5~9手・詰パラ1957.08つれづれ草(3作)
―「鈍棋宝手」がT-Base未収録の媒体で使用されていた可能性も否定できないのですが、
 "棋子"→"騎士"という連想が働いての誤解が介在しているのでは?
とも考えられます。
なお、倉本姓はT-Baseでは次の5件です。
  倉本博 11手・旧パラ1951.12
  倉本良人 7手・詰パラ1956.08つれづれ草(2作)
  倉本良人49手・詰パラ1956.09
  倉本良人25手・詰パラ1957.02

また、川崎論考のこの引用個所には、
 ・「愛用」という表現が、1回3題のみという使用実績としっくりこない、
 ・「鈍棋呆手」使用中止後の棋名は?
 ・「オセッカイな誰か」とは? 川崎氏本人?
といった疑問点もあり、ナゾの多い記述と言えます。

(続く)

(#3:修治vs修次)

(4)荻野修治/修次2015/01/21の記事(以下「旧記事」という)について話題に上った疑問です。
王将三月号で入選2回、近将三月号で入選3回の
  「岩手県 荻野修次」と、
近将1952.3で初入選の
  「新潟県 荻野修治」との関係は?
という訳で――

まず、川崎論考には、「岩手山人は、風来坊こと荻野修治氏がかの地にいたころのもの」とあるので、
  A=荻野修治
  B=岩手山人
  C=風来坊
  D=荻野修次
と表記することにし、T-Baseにより  A~Cの全部
  Dの内、Aの最終登場(1954.12)以前の分
をリストアップしました―

#  名 手 出典 年月
[1a] A 11 旧パラ1951.01
[ 2] A 13 旧パラ1951.03
[ 3] D 15 近将 1952.03
[ 4] D 11 詰棋界1953.01
[ 5] D 9 詰棋界1953.03
[6a] A 21 旧パラ1953.05社員室
[ 7] B 15 旧パラ19953.06
[ 8] B 17 詰棋界1953.07
[ 9] B 17 風車 1953.10
[10] D 5 近将 1954.03
[11] D 19 新王将1954.03
[12] D 23 風車 1954.04
[13] D 9 風車 1954.06
[14] C 13 風車 1954.07
[15] D 15 詰棋界1954.08
[16] B 17 風車 1954.09
[17] A 21 詰パラ1954.11
[1b] A 11 詰パラ1954.11「私の処■作」
(続く)

(#4)

[18] A 11 詰パラ1954.12
[19] B 17 風車 1955.01
[20] C 25 風車 1955.08

―[3]が、旧記事でのhiroさんによる記述と食い違っているのは、入力担当者による「訂正」でしょうか。
例によって、
 「荻野修治」作と同じ図が別名義で再登場していないか?
を調べることにより、その正体解明のヒントを求めてみたら…。
やはり、ありました―
 [6b]荻野修次21手・詰パラ1963.03 高等学校15
―「二度目のお勤め」(再投稿?)になっているのは不審ですが、
 「荻野修治」は荻野修次氏の初期の棋名の一つ
と言ってよいものと思います。

ところで、旧記事で、氏名と手数の間にある数字(1~3)は何でしょう? 手数と相関があるが、コンクールとは関係ないようですが。

谷川さん

爪手美奈斉・爪木宗佐久氏、共に本名は存じ上げません。

鈍棋呆手氏
当時の読者サロン辺りを読まなければ、事情は分からないのかもしれません。
鈍棋宝手氏についてですが、解答や指摘で用いられていた可能性はありますね。

荻野氏
[3]に関しては、「治」だったと記憶しています。
[6]は詰パラ1963年5月号に、作者の「本局は旧パラ五月緑風特別号社員室(5)に出題。旧パラ廃刊の為結果発表のなかったもの。私としては快心作のつもり」という言葉が掲載されています。
「次」「治」に関して、ご自身は書かれているのでしょうかね…。
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