塚田賞受賞回数(総合・短・中・長・特技特別)

まずは御礼から。
加賀孝志氏から、フェアリー作品集を頂きました。
200作をはるかに超える作品群、重みを感じさせます。
そして余詰が発生した作品も、全て修正されているのが素晴らしいです。
作意と解答以外も、興味深い一冊です。

さて、前回の看寿賞に続き、今回は塚田賞について扱うことといたします。
第1期(昭和28年)から第90期(平成9年)までは年2回、第91期(平成10年)から第100期(平成19年)までは年1回発表されていました。
看寿賞の時は元号で表記しましたが、塚田賞では期数で表記したいと思います。
なお、複数作での受賞は1回として扱っています。

参考
第1期 昭和28年上半期
第10期 昭和32年下半期
第20期 昭和37年下半期
第30期 昭和42年下半期
第40期 昭和47年下半期
第50期 昭和52年下半期
第60期 昭和57年下半期
第70期 昭和62年下半期
第80期 平成4年下半期
第90期 平成9年下半期
第100期 平成19年


塚田賞(7回以上)
添川公司 18回(55中・61長・66長・67長・68長・69長・74長・77長・78長・79長・80長・81長・95長・96長・97長・98長・99長・100長)
北原義治 15回(5短・7長・8佳・10中・13中・15短・16長・27特・28特・29中・41中・43中・65特・84長・94短)
山田修司 14回(2長・20中・21中・22長・23長・24中・24長・30長・32中・34中・39長・83中・94中・96中)
七條兼三 13回(47長・48長・49短・49長・51長・52長・57長・67特・71長・72長・73長・74特・75長)
上田吉一 10回(40長・41長・45長・52短・53中・54長・57中・60長・61中・63中)
柏川悦夫 9回(1特・21短・22中・24中・26中・27長・29中・75短・79短)
近藤 孝 8回(6長・11中・18長・30短・33長・37短・43長・44長)
酒井克彦 7回(22短・25中・47中・65中・67短・69中・70短)
駒場和男 7回(22特・32長・53長・65長・70長・71中・71長)
若島 正 7回(30中・39長・45長・54中・58中・64短・68中)

5名の方が10回以上の受賞歴。
こちらも添川氏が最多受賞。たらればは禁物ですが、近代将棋誌の休刊がなければ20回は確実だったと思います。
北原・七條・近藤氏が特徴的でしょうか。
次は、短篇・中篇・長篇・特技特別と分野別の3回以上受賞者を見ていきたいと思います。


短篇賞
北原義治 3回(5・15・94)
北川邦男 3回(14・17・31)
柏川悦夫 3回(21・75・79)
酒井克彦 3回(22・67・70)
植田尚宏 3回(28・54・69)
谷口 均 3回(29・33・51)
富樫昌利 3回(77・81・82)

7名の方が3回で並びました。
看寿賞の時にも思いましたが、短編は作家がばらける傾向にあるのでしょうか。
まあ、次回この仮説は崩れそうですが…。


中篇賞
山田修司 8回(20・21・24・32・34・83・94・96)
北原義治 5回(10・13・29・41・43)
柏川悦夫 4回(22・24・26・29)
酒井克彦 4回(25・47・65・69)
若島 正 4回(30・54・58・68)
上田吉一 4回(53・57・61・63)
林 雄一 3回(73・77・79)
関 半治 3回(76・80・86)

山田修司氏が単独トップ。
構想派の巨匠、面目躍如ですね。
長篇賞も含みますが、20~24期で5期連続受賞をされています。


長篇賞
添川公司 17回(61・66・67・68・69・74・77・78・79・80・81・95・96・97・98・99・100)
七條兼三 10回(47・48・49・51・52・57・71・72・73・75)
山田修司 6回(2・22・23・24・30・39)
近藤 孝 5回(6・18・33・43・44)
駒場和男 5回(32・53・65・70・71)
上田吉一 5回(40・41・45・54・60)
北原義治 3回(7・16・84)
OT松田 3回(35・55・88)
田島暁雄 3回(37・38・46)
曽我正純 3回(89・91・93)

添川氏の66~69期の4期連続、77~81期の5期連続、95~100期の6期連続というのは笑うしかないような…。
七條氏も71~75期で5期連続受賞を達成されていますね(上にあるように、74期は特別賞)。


特技・特別賞
北原義治 3回(27・28・65)

今回対象とした全部門で登場の北原氏。
オールラウンダーぶりを発揮といったところでしょうか。



次回の更新は7月20日、自動更新を予定しています。
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修正図をもって塚田賞

「(正・続)塚田賞作品の魅力」から拾い集めたのですが、この3例だけでしょうか。T-Baseのエントリーも併せて紹介しておきます――

[1]第49期長篇賞:七條兼三氏の七歩連合(「魅力(29)①」2014/03/08)
 [1a]67手(余詰)近将1977.02長篇シリーズ
 [1b]67手・余詰・近将1977.04長篇シリーズ
 [1c]67手(余詰?)近将1977.06長篇シリーズ
[1b]が修正再出題で、[1c]は再修正再々出題。
森田銀杏「この期は再出題も不完全でしたが、その修正図がすばらしい――ということで、"修正図をもって塚田賞とする"という本誌始まって以来の異例の措置が、七條作にとられました。」

[2]第54期長篇賞(「続・魅力(4)③」2013/08/17、また「長編詰将棋の鑑賞 第7回」2013/03/14)
 [2-1]上田吉一「モビール」111手・近将1979.10力だめし・修正図
次点も修正図で、
 [2-2]森長宏明「ペガサス2」163手・近将1979.07研究室・修正図
なお、2作とも原図と修正記事掲載時期がT-Baseになく、修正図は再出題されていないようです。
北原義治「修正図が受賞の前例があるそうだから」
植田尚宏「尚、両作共修正図を以って審査したが、大作に汚点を残す結果になった。」

(つづく)

(続き)

[3]第69期長篇賞:飯田岳一「双飛城」(「続・魅力(19)③」2013/09/27)
 [3a]13手?余詰・近将1987.05特別出題
 [3b]89手(修正)近将1987.06特別出題・再出題
添川公司「大地の詩」との同時受賞でした。
余談ですが、
伊藤果「長生きは大切。生きているからこそ、こんな夢の作品にも出会える。」
と書かれていますが、伊藤氏は昭和25年9月生の当時37歳ですね。他にも「年寄りじみた」書きぶりをされているのを読んだような記憶があるのですが、思い出せません。

ところで、塚田賞は修正図への授賞にあまり抵抗がない以上、改良図についても同断というわけで、次の「詰棋史の豆知識」―
添川公司「妖精」は塚田賞・看寿賞を同時受賞したとされる。しかし、実は
 [4a]183手・近将1983.3
 [4b]191手・近将1983.6改良図
の2図があるのに対し、看寿賞は原図[4a]に、塚田賞は改良図[4b]に、それぞれ授与されている。
―なお、[2]と同じく、出題されていない図が受賞していることにも注意。

改良図への授賞、懸賞出題されていない図への授賞は他には?
後者では、柏川悦夫氏の"二上"(2015/12/10の記事によれば解付き発表)があるようですが。

谷川さん

「モビール」と「ペガサス2」(作品集「詰物語」には「ペガサス」として収録」)、残念ながら結果発表の記事が手元にありませんので、詳しいことは書けません。
現在知られている配置との違いは「モビール」が玉方9六歩なし、「ペガサス2」は詰方5九歩なしですね。
2作について、修正図云々と語られることはほとんどない気がします。
あまり気にしていないということもあるでしょう、そしてそれを補って余りある作品という評価なのだと思います。
「双飛城」は、書かれていますが修正再出題(当初の図は結果発表なし)ですね。

近代将棋ですが、実は第65期塚田賞発表(近代将棋1985年9月号)において、「今回は、不完全作の修正図は賞の対象とするべきか否かについて、各委員に意見を求めてみました」という試みを行っています。
この期、発表作の4分の1以上が不完全であったという背景もあったものと思います。
当時の選考委員は、伊藤果・植田尚宏・岡田敏・柏川香悦・金田秀信・北原義治・桑原辰雄・谷口均・森田銀杏・吉田健各氏。
回答があったのは金田・桑原・谷口氏で、いずれも否定派でした。
ただ、第69期塚田賞発表(近代将棋1987年9月号)によると、「双飛城」に金田氏は点を入れており、谷口氏は「修正作でも、いい作なら、候補に挙げたい気もするが、
その場合、一般の受賞と区別して、特別賞にでもすべきと考えます」と述べられています。

私見ですが、発表図が余詰だからといって、修正図が賞の対象から外れるとは限らないと思います。
大きな減点とされるでしょうけれども、それを補って余りある作品と評価されれば、受賞する可能性はあるのではないでしょうか。
発表年(期)内の修正というのが条件になりそうですが。

修正及び改良図の受賞、塚田賞は分からないですね。
詰パラですと、1999年7月号に出題、8月号で修正再出題され、半期賞を受賞した橋本孝治氏作「アルカナ」が思い浮かびます。
看寿賞を取っていてもおかしくなかった作品ですね。ちなみに対象にはなっています。

修正図への授賞

塚田賞における修正図の扱いに曲折があった、とはちょっと意外でした。
第49期の七條作(再修正図)への授賞で箍が外れた後は、
 第54期「モビール」で、非出題図への授賞
 第61期「妖精」で、改良図への授賞
 第69期「双飛城」で、(通常作との)同時授賞
と規律喪失の一途をたどっていった、と思っていたものですから。

「修正図が賞の対象から外れるとは限らない」という御意見には、同感です。ただ、賞では「作者がその作品に取り組んだ態度」も重要な考慮事項、と考えますので、
 第49期の再修正図の受賞(七條氏が軽率に「修正図」を発表した事例は他にもあったと思います。)
 第69期の"粗検の常習犯"飯田岳一氏(一寸大げさですが、例えば「ラーの鏡」について2013/03/19の記事を参照)の受賞
は承服し難いかな。
なお、同じ考えから、変長(2手長駒余り)・収束余詰といった「救済措置により完全」となる作品に対しても、「作者による妥協の産物なので授賞は原則否定」というのが私の立場ですが、それについてはいずれ別の機会に。また、以上の議論はあくまで「賞の対象」としてのもので、「作品そのものの価値」と必ずしも相関があるわけではない、と申し添えておきます。

(続く)

(#2:看寿賞奨励賞)

修正図等に対する看寿賞の方の実績についても、少しまとめておきましょう。
全詰連HPをざっと眺めたところ、改良図の受賞はなく、修正図の受賞は次の3件―
 ①山本民雄11手・パラ1970.11
 ②駒場和男「父帰る」103手・パラ1970.02
 ③赤羽守「妻籠宿」101手・パラ1988.09
①②は同じ年、ともに修正再出題で奨励賞受賞。
③は受賞決定後に不詰が発覚、修正図(出題なし)をもって受賞。

―私の関心を惹いたのは、近藤郷「『らんぶる』の時代」第1回(パラ2015.11)における、①に関する次の記述でした。―
翌年の看寿賞では、選考委員の多くから推挙されるも、「修正再出題」という理由で、対象から外され受賞を逃し"悲運の名作"とも言われた。
―「奨励賞」だけど「受賞」には変わりないし、看寿賞の歴史で空前絶後の「修正再出題での受賞」は"幸運"としか言いようがないのでは? と思えたのです。
看寿賞奨励賞というのはそんなに軽視されていたのでしょうか。詰棋史上の背景事実として気になる点なので、裏づけとなる典拠が欲しいところです。

(続く)

(#3:田島暁雄vs今井光)

"近藤郷氏つながり"ということでの関連質問―

『般若一族全作品』の広告に
  難解すぎるという理由で塚田賞を獲られなかったデビュー作「今井光作品」
とあるのですが、この期(第38期=1971年下期)の塚田賞長篇賞は田島暁雄氏の作品。この作品は「正解者なし」だったので、見かけ上は今井光作品(正解者1名)を上回る難解作だったのでは? と思った次第。
ちなみに、「塚田賞作品の魅力(22)」(2014/02/17)では、見出しは
  田島氏、正解者なしの難解作で連続受賞
で、今井光作品に関する言及は、
 塚田九段「今井光作も個性があり、力作である。」
のみのようです。「難解すぎるという理由で云々」の典拠が気になるところですね。

谷川さん

まず、返信を書いた(1月8日)後に調査した結果、私の方で新たに分かったことがありましたので触れておきます。
七條氏作(七歩連合)の経緯は、1977年2月号発表、4月号再出題、6月号(再)修正図にて解答発表というものです。
「ペガサス2」は1979年7月号で発表、8月号の結果発表では余詰への言及はなく、12月号で詰方5九歩追加の修正案が紹介されています。
「モビール」は1979年10月号で発表、12月号の結果発表の中で余詰について触れられ、玉方9六歩追加の修正図も合わせて紹介されています。

#2
看寿賞奨励賞の扱いについて、詳しくないのではっきりとしたことは書けません。
一定の考えに基づいたものではなく、その時々での捉え方次第なのではないかという気はしますが、私見でしかありません。
あくまで一例として、詰パラ1983年6月号を参照した結果を記しておきます。
短編賞は該当作なしとされ、次の行に奨励賞として有吉氏作が書かれています。中編賞についても同様です。
受賞作の紹介では、短編賞(奨励賞)・中編賞(奨励賞)として触れられています。
山本民雄氏作については、「半期賞こそ逸したものの、見事に看寿賞の方で拾われることになった」とあります。

#3
第38期塚田賞発表の記事を読んだことがありませんので、こちらもうかつには申し上げられませんが…。
この期に関しては田島氏作がありましたし、難解すぎたということが今井作の受賞を逃がした理由であるとは思えません。
正解者0名と1名(唯一の正解者は作者で、実質0名)で、0名を上位としたというのもしっくり来ません。
塚田九段の好みの差や、構想が理解できなかったという可能性はありそうが。
まあ、選考の舞台裏を知っていたということがあるならば、事情は変わってきますけれども。

「アルカナ」と『夢の車輪』

「アルカナ」についてご説明頂いたので、「修正図に半期賞」という話題についても少しばかり。と言っても、軽いコメントと、新刊書についての気づきの点だけですが――

首猛夫氏が、大学院担当期間を回顧した文章で、アルカナについて申し訳ないことをしてしまい心残りである旨を述懐されていて、「どんなことがあったの?」と気になっていたのですが、唯「"粗検"で(作者に)迷惑をかけた」というだけだったのですね。

さて、『夢の車輪』の第70⇒108番も「修正再出題で半期賞受賞」の例になっていますね。
  第70番51手・パラ1972.1「大学3」
  早詰:作意解者1名のみ&修正図送付のため、作意は伏せる
旨記されているのですが、修正再出題は、
  第108番57手・パラ2000.4大学院(T-Baseの「大学13」は誤り)半期賞
なので、(時期的に見て)何か曲折を経ているようです。
ところで、70番が「大学」とは? 現在の大学/大学院の手数境界は50手ですが。
なお、T-Baseの「手数」欄の数字は(解図ソフトの解に基づいているので)作意と異なる場合が多く、「詰将棋学校の手数区分の変遷をT-Baseにより解明しよう」という私の試みは頓挫してしまいました。

谷川さん

首氏のコメント
(分かっていると言われそうですが)傑作を最初から完全な形で世に出せなかったことが、悔やまれるということだと思います。
担当者としても、気を配る所なのではないでしょうか。

安達氏作
当時において、作意を伏せるという措置が取られた作は未発表扱いだと思うので、修正図ではないというのが私見です。手順も異なりますし…。
現在ですと、そうは行かないでしょうけれども。
時間が経っての修正となった理由は、推測するしかありませんね。
(当初の)発表時点で現在の手数区分に似たものだったと思われますが、境界の手数に関しては、内容次第でコーナーを決めていたのかもしれません。
推移は細かい変更があったりしますので、意外と追うのは難しいと思います。私は途中の号からしか所持していませんので、なかなか取り組む気には…。

上記とは関係ありませんが、前回のコメントで書き忘れた部分を追記します。
数字ですが、実際の表記は★で、何を示しているかは記述がありませんが、難易度ではないかと考えています。
メモの際に数字にしたのですが、★にした方が、より誌面に近づいてよいかもしれませんので検討させていただきます。

塚田賞落選⇒看寿賞受賞

「修正図等で受賞」「命名の衝突」に続く「塚田賞をめぐる因縁」シリーズ第3弾!

昔、『2ちゃんねる』のスレッド「これが神局だ!!! その2」#303-306で、ちょこっと話題に上って、あっさり片付けられていたので、きちんと調べてみることにしました――

まず、近将で発表され看寿賞を受賞した作品のリスト―

# 作者   月号  手 作品名など
①柏川悦夫 1963.12 17
②酒井克彦 1964.09 15 『からくり箱』17番
③柏川悦夫 1964.08 31 入選百回記念作
④田中鵬看 1971.02 147 「奔馬」
⑤墨江酔人 1978.07 69 七種捨合
⑥新ヶ江幸弘1979.11 23 純四銀詰
⑦橋本 樹 1980.06 11
⑧添川公司 1980.03 21 遠角
⑨若島 正 1981.07 27 "イ"
⑩伊藤 正 1981.09 109 「月蝕」
⑪添川公司 1983.03 183 「妖精」
⑫山本民雄 1984.07 33 龍ソッポ3回
⑬橋本孝治 1985.12 789 「イオニゼーション」
⑭若島 正 1986.11 23 初手55角成
⑮相馬康幸 1987.07 239 「迷路」
⑯添川公司 1992.03 145 「大航海」
⑰添川公司 2002.12 703 「明日香」
⑱森田銀杏 2002.07 33 「トランプ詰」4題
⑲添川公司 2003.08 139 「早春譜」
⑳添川公司 2007.06 365 「阿修羅」

(続く)

(#2:本編)

この内、塚田賞「落選」とみなせるのは次の4件―

②酒井克彦作は賞なし
・短篇賞は南倫夫15手1964.8
・酒井作は誤解率8割で有名ですが、「塚田賞作品の魅力(14)」(2014/01/19)にも、『からくり箱』73頁にも、塚田賞落選の状況説明はありません。塚田九段の選評など、読みたいところですね。

④「歩なし全駒シリーズ」(1971.1~9、19作)は看寿賞奨励賞に選ばれ、「奔馬」が代表作として受賞。塚田賞では賞なし
・上下期とも、長篇賞は田島暁雄作
・近将→詰パラで逆転している(他誌が授賞しているのに、本誌は…)のが面白いですね。

⑨新ヶ江4銀詰は塚田賞「新人賞」
・中篇賞は若島正31手"飛の最遠開き"
・新ヶ江作は詰棋史上屈指の名作、若島作は推敲不足(パラ2015.7名局ライブラリー)ですが…。
なお、若島氏の改作(31手盤面13枚⇒21手9枚:『盤上のファンタジア』第53番)の動機が、次期の添川公司作(本作の翻案で21手13枚)にあった、というのが私の憶測。

⑮「迷路」は賞なし(次次点)
・長篇賞は駒場和男「六法七変化」
・この期の相馬康幸作は
  7月号「迷路」239手
  8月号「夕凪」287手
  9月号「日時計」231手
と豪華で、日時計が次点(「続・塚田賞作品の魅力(20)」2013/09/28・30)。

(続く)

(#3:拾遺編)

他に特記すべき事項は―

①柏川17手は、塚田賞は中篇賞で、看寿賞は短編賞。

⑱森田「トランプ詰」4題は、塚田賞・看寿賞ともに特別賞。

以下は「追補」です――

[1]「改良図に塚田賞」の追加―
 駒場和男「驟雨」101手1965.05小駒煙⇒129手1985.03全駒煙・長篇賞
―「改作」と呼ぶべきでしょうか。

[2]「修正図に塚田賞」の追加―
 曽我正純113手1998.05⇒1998.08修正再出題・長篇賞
 ・今村修「花より団子」「月より饅頭」を抑えての受賞(「第82期以降の塚田賞作品(10)」2014/06/18)
―なお、「不詰は余詰より桁違いに罪が重いので、受賞は絶対不可」というのが私見です。

谷川さん

②と④は手元にある資料ではどうにも…。


若島氏作は、発表図の時点で傑作だと思います。
看寿賞選考では、新ヶ江氏作が受賞、若島氏作が次点となっています。
なお、添川氏作が改良に影響したというのはどうでしょうか。
そうであれば、もっと早く取り組まれたのではないかと思いますが…。


看寿賞選考では、「迷路」が受賞、添川氏作「大地の詩」が次点、添川氏作「サーカス」と風の精氏作「汗血馬」が次々点となっています。
「双飛城」や「六法七変化」が候補にも入っていない理由などは、読み取ることができません。

追補[1]
「驟雨」ですが、塚田賞選考では新作として評価されている方がほとんどでした。

追補[2]
曽我氏作、結果発表はされず8月号で再出題されていますね。「双飛城」と同じ形式でしょうか。
再出題に関する言及はありませんでした。
例自体が少ないですし、賞の選考において、その時その時で判断がなされたのでしょう…と少し調べてみて思いました。
ちなみに、看寿賞選考では今村氏の連作の方が高い評価を得ています。
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